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生産者

良いチームが良い商品を作る。青森県弘前市のカントリーファームSOMA

良いチームが良い商品を作る。青森県弘前市のカントリーファームSOMA

自然豊かな青森県弘前市でミニトマト、りんごを栽培 青森県津軽地方の大都市弘前市で祖父、父、息子3代でミニトマトとりんごを栽培している「カントリーファームSOMA」。 曽祖父の代では養豚だったが、祖父が経営を引き継ぐ際に「親と同じことはやりたくない」ということで養豚をやめ、山を購入しりんごをスタートした。現在ではりんごの他にもミニトマトやほうれん草、レタス、米など多品目を栽培する複合経営をおこなっている。 りんごの生産者はりんご専業でやる方が多いが、カントリーファームSOMAではあえて複合経営にしている。その理由を息子の相馬啓介さんが語ってくれた。 「父が祖父から経営を引き継いだのが1991年。1991年は青森県のりんご生産者にとっては壮絶な年でした。9月28日に当時では全体未聞の猛烈な勢力台風19号が収穫間近のりんご畑を直撃し、大損害を受け、1作物だけでは家族を養うのは難しい、できる限りリスクを分散させていく必要があるとして、他の作物も生産するようになりました。アルバイトも15人ほどで上手く作業時期をずらしながら経営をおこなっています。」 美味しさの秘訣は”水”にあり、青森県の名水堂々平桂清水の水で栽培 青森県には「わたしたちの名水」という県が認定する湧水が多数あり、カントリーファームSOMAがある弘前の大沢地区には堂々平桂清水(どうがたいかつらしみず)の湧水が流れてくる。この湧水は地域でも有名で山奥にある水汲み場にはたくさんの人が水を求めて訪れるという。 堂々平山の林道を進んだ先にある汲み場 「カントリーファームSOMAでは山から流れてくるこの水を濾過して使用しています。水の成分特性が味にしっかりと反映され、他の身にトマトとは一味違う甘味や味の濃さが味わえます。」 実際に食べてみると、非常に旨い。まるでフルーツを食べているかのような不思議な感覚になる。 現在は弘前市の市場に出荷をメインとしながらも、東京の高級スーパーやネット通販など販路を拡大し、大人気となっている。 チーム一丸となって、大きな農業企業になる。 取材時興味深かったのが、作業をしている方々が皆明るく、雰囲気が良かったことだ。どこか楽しそうで、こちらも朗らかな気持ちにさせてくれる。こんな職場だったら働きやすいだろうなと心底思う。 「正直特に意識してはいないのですが(笑)、黙々やるよりも、楽しい方が絶対良いと思っています。若い方はやはり楽しくないとついてこないと思うので。できるなら良いチームで、もっと経営規模を大きくしていきたいと考えています。農業の高齢化は深刻で、毎年誰かが土地を手放しています。そいういう土地をできる限りカントリーファームSOMAで借りて、もっと若い人を集めて、さらに拡大をしてというようなサイクルができればいいかなと思っています。」 祖父、父、息子の3代で紡ぎ、今では大きなチームになったカントリーファームSOMA。笑顔溢れるいきいきとした彼らの今後の活躍から目が離せない。   カントリーファームSOMAの販売商品はこちら <送料無料>【青森県弘前市・カントリーファームSOMA】 名水が育む至極の葉とらずりんご「サンふじ」   <送料無料>【青森県弘前市・カントリーファームSOMA】 名水が育む至極の葉とらずりんご「サンふじ」   <送料無料>【青森県弘前市・カントリーファームSOMA】 名水が育む至極の葉とらずりんご「サンふじ」 

りんごづくりを通じて、未来の産業を創る。若き篤農家の挑戦。

りんごづくりを通じて、未来の産業を創る。若き篤農家の挑戦。

青森県津軽平野のほぼ中央に位置する田舎館村。田んぼをキャンパスに見立て、様々な色の稲穂で巨大な絵を描く「田んぼアート」が有名だ。 小野充貴(おのみつたか)さんは田舎館村で、祖母から3代続くりんご農園の園主として先祖代々の土地を守っている。 取材に訪れたのは冬の寒さと春の陽気が入り混じる4月の初め。津軽の名峰岩木山の雪化粧は健在で、晴々とした空の下、小野さんはりんごの樹の枝を切る剪定作業をしていた。 「この剪定作業で来年のりんごが決まってくる。今年ではなく、来年のりんごです。勘違いしている人も多いのですが、実は今年りんごの実をつける花芽は剪定が終わり、花が咲き、実すぐりが終わる去年の7月くらいには樹に出現しています。その花芽は去年の剪定の結果なので、つまりは剪定した結果は次のシーズンの実に影響してくるんです。」 剪定はりんごの農作業の中でも特に難しい作業で、りんごの収穫が終わる12月から翌年の春ごろまで行われる。剪定した結果が次のシーズンになるまでわからないというのは驚きだ。 「りんごの剪定はバスケをやっていた時の感覚と似ています。ひたすら努力すれば上手くなるように、技術を自ら学びに行って、努力した結果がしっかりと形になる。こんなに面白いことはありません。だからこそ努力が苦ではないんです。」 剪定についての考え方は地元で活躍する農業者の先輩方から学んできたという。 「毎年りんご農家の先輩方のところに剪定の時期になると訪問し、色々質問しています。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という言葉がありますがまさにその通りで、良いりんごを作るためには必要なことです。先輩方はものすごいスピードで枝を切り落としていくのですが、切り終わった後に、なんで?と質問しまくります。その度丁寧に教えてくださる先輩方のおかげでここまで成長できました。」 技術指導をする立場ではあるが、常に県内の生産者の圃場を隈無く歩き回りながら勉強する日々だという。 「先輩方の教えで、大事にしていることは、農家の中には枝を切る際、邪魔だ、と言って切る人がいるが、絶対に邪魔という言葉は使うなということです。邪魔な枝は一本もなく、意味があって生えてきてるんだから、これを切ったらもっとよくなるというような伝え方をするようにしています。」 りんごに対しての優しさや律儀な姿勢が良いりんごに繋がっているのかもしれない。自分の畑の剪定作業をするようになり、約7年程だというが、近所の人からは、畑が見違えるようによくなったと言われるそうだ。   祖母の思いを継ぐ。 おの農園は現在90歳を超える祖母が購入した3反の畑からはじまった。 「当時私の祖父が色々な問題を背負って、東京に行くことになりました。故郷に戻ってこれないことも覚悟で、なんとか子供に飯を食わせてやれるようにとの思いで、祖母にできるだけ土地を買っておくようにといって上京したそうです。」 祖母は祖父のことばを一心に守り、少しずつ土地を増やしてきた。半世紀以上たった今でも祖母は現役で農作業をしている。 「常に畑のことを考えていて、農家としても1人の人としても尊敬しています。」 祖母の背中を追うように、東京の大学を卒業後にすぐに青森に戻ってきた。 「高校時代は地元のバスケットが強い高校で、3年間一心不乱にバスケットに打ち込んできました。3年生でレギュラーをとって、インターハイにまでいけました。そのおかげで、先生から、家も農家だしということで東京農業大学に推薦してもらうことになりました。そのころは将来どうしようとかはあんまり考えてなかったのですが、上京するときに祖母から『約束してくれ、必ず大学を卒業したら帰ってこい』と言われました。その言葉が印象に残っていて、東京では就職活動はせず、地元に戻り、青森県りんご協会の正社員として働きながら、実家の農園をつぐことにしました。」 そんな祖母と定年退職をした父と3人で農業をする中で見えてきたのは地域の課題であり、農業全体の課題だ。これらの課題を自分ごととしてとらえ、一歩踏み出すために依頼したのが、おの農園のロゴと直売のためのECサイトだった。 「ものすごいスピードで農業をやめる人が増えています。地元に仕事がないからと言って、県外に出て行ってしまう人も多く、その実情をただ見ているだけではなく、おの農園として何かできないかという思いがありました。おの農園が頑張ることで、地域に雇用を作り、町から出ていった人が戻ってこられるようになればいいですね。それがおばあちゃんに対しての恩返しにもなると思っています。また、りんごという商材に絞ると、日本全体の人口が減る中で胃袋の数も減っているので、これからどんどん国内の需要は減っていきます。ただ、看過できないのは我々親世代がフルーツを食べなくなっていることです。親世代が食べないと当然その子供世代はフルーツを食べないですし、なんとかこの現状を変えるために頑張らないとと思っています。」 着実に一歩一歩進んでいくという強い意志のもと、前年度は青山のファーマーズマーケットに出店し、1日のみの参加だが、10キロ箱10箱を完売させた。 「りんご収穫の繁忙期で、東京には行けませんでした。ただ、現地でおの農園のチラシを配ってもらったおかげで、FAXや知らない電話番号からの電話など、前年度とは比較にならないほど注文が入りました。今年度もできればお願いしたいと思っています。加えて、味や品質が評価されて、直接取引をしたいというお話もいただいているので、これからもより一層努力していきたいです。」 青森県田舎館村でりんごと地域の課題と真摯に向き合い、挑戦を続ける若き農業生産者の挑戦は続いていく。   販売商品 【青森県田舎館村・おの農園】 青森最高峰のりんご技術者が栽培する「サンふじ」 【青森県田舎館村・おの農園】 青森最高峰のりんご技術者が栽培する「名月」...

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